心理的ハードルをいかに下げるか。
1949年生まれのスロベニアの哲学者スラヴォイ・ジジェクをご存じでしょうか。難解な思想体系とは裏腹に、ヒッチコック映画を題材に取り上げたり、国際紛争について積極的に発言したりするなど、現実世界にコミットする姿勢でも知られており、現代思想界で独特の存在感を放っている偉才です。
少し前、そんな彼の動画がSNSで拡散しました。ある種の「執筆論」を語っているものです。ていねいに日本語字幕が付けられていたその動画から、彼の発言を引用してみましょう。
私には書くことに関する非常に複雑な儀式があるんだ。
心理学的な観点から言って椅子に座り続けるのが不可能なのだ。
だから自分自身を騙す必要がある。
私はある単純な戦略を練り上げた。
少なくとも私には上手くいっている。
アイディアをメモしておくのだ。
アイディアは相対的には練り上げられた形でメモしておく。
ある程度は文章になっている思考の流れのようなものだ。
ある時点までは自分に言い聞かせる。
私は書いているわけじゃない。
アイディアをメモしているだけだ、と。
そしてある時点に達すると自分にこう言い聞かせる。
もう素材はすべて揃っている。
あとは編集するだけだ、と。
2つの工程に分けてしまうのだ。
メモを作り、編集する。
執筆は消失する。
いかがでしょうか。私は、さすが巨匠!と思わず唸ってしまいました。ジジェクでさえもそこに悩んでいるのか、と妙な親近感さえ抱いたほどです。同じ「書き手」としての肌感覚が確かにそこにあります。
「執筆は、執筆の敵」
「書きたいなら、書くな」
「書くのをやめれば、書ける」
こう書くとあたかも禅問答のようですが、その実体は、簡素なアイディアに基づく効果的なノウハウといっていいでしょう。
彼の執筆論は、以下のように解釈・整理できると思います。
・完璧な文章を最初からしたためる必要はなく、とっかかりは「メモ」でいい。後で加工(編集)するのだから。そこでまず執筆に向かう心理的ハードルを下げる。
・「あとは編集するだけ」なら、ゼロ→イチというカロリー(難易度)の高い行為ではないという気持ちになれる。ここでいう編集とはいわゆる「リライト」を含み、決して楽な過程ではないが、気持ちの部分で執筆のハードルは下がる。
要するに、書くことのハードルを下げる。あるいは、障壁をなるだけなくす。そこがポイントです。このことは、単にハード面、環境面にも当てはまります。文字を書きやすい筆記用具や紙、タイプしやすいキーボード、見やすいモニター、長時間でも疲れないデスクやチェア(ジジェクは座り続けられないらしいですが)、照明器具を選ぶのは、思いのほか重要です。
「全体スケッチ」のすすめ。
ジジェクの場合、論文や批評文の執筆を想定していると思いますが、弊社で多く手掛けているインタビュー原稿でも、ベースとなる発想は適用できます。ただ、インタビュイーの発言という素材をどう調理するかという側面が大きいため、書き手の知識やインスピレーションだけでまとめるのは難しい。そこで今回は、ある程度長文のインタビュー原稿を執筆する際に私が意識している、もう少しテクニカルなコツについてご紹介します。
①インタビュー音源を文字起こししたものを通読しながら、記事に使えそうな、重要な箇所にマーカーを引く(ピックアップする)。
②実際の発言のタイムラインどおりに、マーカー部分を切り取り、それぞれ文章としての練度を上げ、ロジック(またはストーリー)に明らかな不自然さがないようにつないで、とにかく最後まで、全体スケッチとして書き上げる。この時点では、所定の文字数の2倍程度にする。
③全体スケッチで、文言のリライト、追加、削除、入れ替えなど、加工しまくる。
④1回の加工作業でいきなり所定の文字数に収めることはあまりない。2倍バージョンからいったん1.5倍バージョンまで削るなど、複数の段階を経て、1倍バージョンが完成。
この方法がベストというつもりはありませんし、毎回厳密に守っているわけでもありませんが、なんとなく経験上、こういう方法を採用しています。キーとなるのは、「分量多めの全体スケッチ」です。全体像が見てくると、加工(編集)の方針も定まりやすく、さらに追加より削除の方が、勇気さえあれば、早く済みます。
ジジェクのノウハウを当てはめるなら、マーカー部分が「メモ」でしょう。全体スケッチにすることについては、件の動画では語られていませんが、その後の加工は、まさにジジェクのいう「編集」です。
こう考えていくと、「メモ」+「編集」の組み合わせで仕上げていく手法は、原稿用紙に手書きしていてはとてもやってられません。ワープロ(パソコン)を使うのが大前提です。つまり、ジジェクも私も(おこがましくも勝手に並列)、文明の利器におんぶに抱っこということでもあります。ワープロには心から感謝しつつ、それがなかった昔の文筆家ってすごいな、とあらためて畏敬の念を抱く次第です。