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フリッジ設立後vol.1
どんな会社にするか、長らく決めかねていた。(立古和智)

新鮮なネタがぎっしり、ある意味でクールなfridge。

フリッジ前夜Vol.2までで、出版物を手がける編集者・ライターだった僕が、徐々に企業コミュニケーションの仕事に軸足を移していった経緯をお話しました。話が少し前後する部分もありますが、その過程では法人成りも果たします。ときは2008年3月6日。企業の仕事が増えてくると、法人同士の契約を求められることが増えたこと、法人にすれば人を雇いやすくなることなどが理由です。税理士さんからも「これだけの年商があるなら法人成りしたほうが税制面でも得」と聞かされていました(今思えば、あの程度の年商なら個人事業主の気楽さをとったほうがいいような気もしますが)。

法人成りして代表取締役になる。これによって気分一新、とでも言いたいところですが大きく変わった気はしませんでした。むしろ経理をはじめとしたさまざまな雑務が増えて、少し後悔したほどです。けれども法人成りしたからには「最低でも10年は」と思っていました。なおfridgeという社名は、妻が個人的に運営していた日記サイト「fridge dept」に由来します。fridge(=冷蔵庫)なら「新鮮なネタがギッシリ詰まっている」「ある意味でクール」などといろんな意味づけもできるし、なによりイギリス人デザイナーの友人に「フリッジって屋号はどう思う?」と相談したところ、反応がすこぶる良かったことも決定打になりました。領収書の宛名に「株式会社ブリッジ」と書かれがちなことだけは玉に瑕。まあ、これは想定内でした。

編プロじゃないし、コピーライター事務所でもないし、うちは何者なの?

法人成りした後も、長らく従業員はおらず私と妻だけの会社でした。「どんな会社にしたい」という具体的なビジョンも描けずにいた、というより日々舞い込んでくる仕事を必死でこなすばかりで、自分が舵を握っている意識に乏しかったのだと思います。ビジョンを考えている暇がない、というより考えようともしていませんでした。

結果、編集ライターであり、コピーライターであり、制作ディレクターであり、取材ライターであり、ときにプロデューサーとして、頼まれれば何でもやる、というスタンスで仕事を重ねていくことになります。相手によっては僕のことをコピーライターと呼ぶし、相手によっては編集者と呼ぶ、しかも手がける分野もさまざま。こうなると「得意分野は何ですか?」と聞かれたときが困りものでした。かつては「デザイン系の出版物の企画編集、取材執筆が得意です」と即答できたのが、これというアピール軸を見失っていました。自分の強みがよくわからなくなっていたのです。

言葉にするとネガティブに響くかもしれませんが、自分としては何かに絞り込むより「あれもこれも」と欲ばりたかった。今になって振り返ると、これが正解だったような気もします。つまるところ「間口は広く」「何でもやる」「呼ばれたらフットワーク軽く」なわけで、時間の経過とともに「広い分野で、さまざまな経験を携えた人」と見なされていったように感じています(たぶん)。30代の頃に幅を狭めなかったおかげで、40代に入ってからは驚くほど仕事に広がりが生まれました。

組織化するなかで「ことば、コンテンツを中心に据えたものづくり」を標榜するように。

組織化を視野に入れるようになったのも僕が40代に入り、難しい仕事や責任の大きな仕事が次々に舞い込んでくるようになった頃からです。アシスタントとしてパートタイマーを雇ったことはそれ以前にもありましたが、正社員を雇ったのは2017年1月が初めて。万が一、僕が倒れても仕事がストップしない体制を徐々につくっていきたかったし、「雇ってほしい」と請われたことにも背中を押されました。最初のひとりを雇うときは、他人の人生まで背負い込むようなプレッシャーを感じたものです。

それなのに翌年には2人目を、さらに翌年には3人目を雇ううちに、組織化にも慣れていき、ありがたいことに人数に比例するように仕事は増え続けます。ここで面白かったのは、意識していなかった自分の強みがわかってきたこと。スタッフを育てていると、自分にとって簡単なことがスタッフには簡単ではない、という場面にたびたび遭遇します。その過程で自分の強み・弱みがわかるほか、僕にはない特技を持つものも登場しますので、組織としてやれる仕事の幅も広がりました。

もうひとつ収穫だったのは「書くことやコンテンツの制作に重点がある制作会社」は、編プロ以外だと珍しいとわかったことです。取材ライティング、コピーライティング、編集制作までを一手に担えることも然り。なにかに特化した会社はあっても、すべてをやる会社は希です。それに巷ではクリエイティブカンパニーというと、デザインが大切にされている風潮があるように思います。だったら僕らは「言葉(やコンテンツ)を大切にする制作会社になろう」と思うようになったのが2010年代の後半。人と働くなかで、徐々に軸が定まっていきました。

ちなみに、デザインを軽視しているわけではありません。デザイン関係の出版物を手がけてきた僕としては、むしろデザインを重要視しているつもりです。デザインと言葉(コンテンツ)はコミュニケーションの両輪だと思っています。少し話がそれるかもしれませんが、愛知県豊橋市を拠点とするベテランアートディレクターの味岡伸太郎さんが、インタビューの中で「デザイナーが最も大切にすべきものは言葉」と明言されていたことも「言葉を大切に」のヒントになりました(フリッジ設立後vol.2に続く)。

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